冒頭のシーンでカイトたちが釣りをしていた場所。 *(写真は2020年空撮) 菖蒲田浜南部にあるカーブした堤防で、震災前は 写真左側のような高い防潮堤はまだ無かったと いうことなので、2011年より前の空撮写真など から小学生シーンのこの堤防の様子を調べて 描写しました。 |
同じく冒頭のシーン。 撮影中もちょうどそこで釣りをしている方が いらっしゃいました。ここで実際にぼっけが 釣れることはまずないだろうとのことです。 |
小学生のやよいたちが避難してくる招又地区の高台。 しかし3.11の津波はこの地域も被害を受けたことから 海抜が十分ではないということで、 付近に立てられた避難場所指定の標識にも、 津波は除外となっていました。 |
被災したやよいたちが避難した七ヶ浜国際村のロビー。 実際に震災の時に避難所として使用されたそうです。 中庭にはアンフィシアターという水に浮かぶ屋外劇場が あり、そこに張ってあった水で幸い断水中のトイレの 水などに利用できたそうです。 |
七ヶ浜国際村のホール屋上の展望台。 小学生のやよいたちが、ここに来て七ヶ浜を 眺めていました。 撮影時も美しい菖蒲田浜などが見えましたが、 震災直後、この場所から見える瓦礫とまだ引かない 海水があちこちに残った光景をよく覚えていると、 案内していただいた職員の方がおっしゃってました。 |
やよいたちが初日の出を見ていた、眺洋台。 元日ではどのあたりから太陽が見えるのか、 職員の方から具体的に教えていただきました。 |
やよいたちの卒業式の後、地震が起きた時にいた 花渕浜の堤防。 花渕浜周辺には震災後にできたホテルや 観光交流センターやうみの駅海鮮市場などが あります。 |
中学生のやよいたちが走って避難した途中の場所。 建物の外壁に水没した高さに目印を付けている ところがありました。 花渕浜の堤防から、一時的に避難したお寺との 中間地点あたりです。 |
やよいをおぶったカイトたちが一時避難した同性寺。 瓦礫はこのあたりまで流れてきたそうです。 実際に当時ここに避難した方たちは カイトたちのようにさらに高いほうへ避難した 証言記録が残っていました。 |
としゆきさんに助けられて上ってきた 墓地に向かう坂道。 ここに避難した方たちは、幼稚園のバスの 中などで寒さから身を守ったそうです。 頂上の墓地は開けていて、実際にヘリが ここへ救助に来たそうです。 |
菖蒲田浜の新しくできた防潮堤。 大人になったやよいたちが再開した場所。 サーフィンやパラグライダーをする方たちで 賑わっています。 |
2020/12/23 職員の方々による、住民役の声の収録前の様子。 どういうシーンなのかを細かく打ち合わせ中です。 この日、新聞やテレビの方たちが取材に来て くださり、夕方のニュースなどで取り扱って いただきました。 |
同日。 大きな余震が何度も押し寄せる中、高台へ 避難する人々のエキストラの声収録。 手の合図で余震のタイミングを合わせて行いました。 みなさん迫真の演技で、シーンに緊迫感が出ました。 |
同日。 七ヶ浜町長にも、校長先生の役をやって いただきました。コロナ禍ということで、 一人ずつ間隔を空けながらの収録で、 緊張感と難しさがありましたが、なんとか 無事に収録できました。 職員の皆さま、お忙しい中ありがとうございました。 |
七ヶ浜各地で録音した波の音、漁港の音 波消しブロックに当たる波の音など、 実際の場所の環境音として使用しました。 リアリティの追及というよりは、 比較的騒音の少ない静かな七ヶ浜が、 環境音の収集に適していた というのが本音です。 |
脚本・絵コンテ・作画:石川直哉 / 音楽:森田俊輔 / 構成協力:沼田佐和子(よごと企画) / ロゴデザイン:毛利武音響制作:株式会社コトリボイス / キャスティング:子吉信成 / 音声編集:三上山めぐみ収録:スタジオUNIVA / コトリボイススタジオ撮影協力:七ヶ浜町観光協会 / 浜しんラーメン / 臨済宗妙心寺派 同性寺 / 七のや / シチノリゾート/ 宮城県漁業協同組合七ヶ浜支所 / 株式会社カネイチスペシャルサンクス:杣かんな / 制作進行:木村 奏 / 内海博登 / インタビュー撮影:中村欣也制作:川口印刷工業株式会社 / 千葉直見 / 鎌田俊一 / 矢野嗣男 / 草光 / 神保奈奈子アニメーション制作:自治体アニメ株式会社制作・著作 宮城県七ヶ浜町 |
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